祖父母 岩原信盛と茂(旧姓 島村茂)両名とも故人
岩原信盛
明治20年(1887)2月18日〜昭和17年(1942)2月28日、56才
岩原茂
明治24年(1891)1月18日〜昭和34年8月20日、69才 父島村雅房母山本亀尾

     明治時代の徴兵制ありし頃の写真

実物はもっともっと精細な写真として保存されている。

写っている祖父(1887〜1942)は終戦前に死去。
写真の裏に明治41(1908)年1月5日と墨書されている(祖父20才)。
明治37(1904)年38年(1905)が日露戦争で、その約3年後の写真。
記念写真から約4年後に結婚(下の写真)

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裏に明治45年(1912)4月14日(祖父25才)写真館で写した記録が墨書されている。
写真館名は、アルファベットでM.Hirano USIGOME TOKYOとなっている。

長女の出生届をした東京の牛込の写真館で。
その後長女1人を連れ韓国へ。長女紀久子が東京で誕生したとき、浜口雄幸(多分妻の夏から)から産着(晴れ着)をもらったと生前紀久子が言っていたとの事。

公務員生活を送る間、2男3女をもうける。

浜口雄幸との関係

浜口雄幸の経歴

「浜口雄幸伝」昭和6年 関根実著によると、東京牛込矢来の浜口邸と記述あり。
祖母は浜口雄幸邸へ行儀見習いに行っていて祖父と知り合う。
結婚の新居も東京牛込である。
祖父と祖母の結婚に役人雄幸が関わりがあるらしい。行儀見習いに行けた理由ははっきりしないが、一応浜口家の系図を掲載する。島村茂は浜口家とは奈半利川を隔てた東隣の六本松で生まれた。
祖母の島村家(系図に明らかだが先祖が一つ)の墓は、北川村「モネの庭」建設に当たり、若干移動し、モネの庭へ登っていく道沿いに墓(記念碑?)が現存。
祖父母はその後朝鮮専売局へ。

平成18年7月末新宿区中里町近辺を散策。歴史に詳しい駐在さん(警察官OB)に、この近辺には江戸期からも有名な人の屋敷とかたくさんあった事が分かる。
 役人浜口雄幸はその後矢来町から豊島区へ移った。

儀礼刀は遺品。儀式の時腰に付けた飾りの刀。


チャレンジへ祖父母の写真が掲載される