母校の初月(みかづき)小学校
昭和41年冬頃
小学2年生から6年生まで春夏秋冬と、この田んぼの中の用水(小川)沿いに毎日通学した。
春はたくさんのへびに遭遇した。
冬は渡り鳥を捕ろうと冬のたんぼの中に釣り針とみみずと釣り糸で仕掛けをしておく。
後ろの山ではメジロとか鳥を捕る友人の影響を受ける。
山の上の稜線は北山スカイライン。
その下は観月(みづき)坂の団地ができている(平成10年頃??)
今は小学校も手前の景色も一変している。マンモス校となっていた。
創立百周年記念誌にのっている記事を表にしたら
年代 | 学校 | およその活躍人物 | . |
江戸時代 天保・弘化より |
村岡塾(寺子屋・私塾) | 村岡玄廣氏の父?祖父? | 医者をしつつ塾 |
明治5年 | 学制発布、積小学舎と改称 | 村岡玄廣氏の父 | 医者をしつつ |
明治7か8年頃 | 久万小学校を設立 | 村岡玄廣氏の父 | 医者をしつつ |
明治24年 | 初月尋常小学校(3つが合併した) | 村岡玄廣氏とその父 | 医者をしつつ |
大正 | . | 村岡玄廣氏 | . |
昭和 | . | 村岡楠鹿氏 | . |
昭和37年度 | 初月小6年 | 村岡君の父 | . |
昭和41年冬 | 高校1年上の写真を撮る | 村岡君の父 | . |
現在 | マンモス校 | 村岡君 | . |
村岡玄廣(むらおかげんこう)は医者で、寺子屋で書を教える。村岡君の4代先祖か。藩主を診た藩医か?
村岡玄廣は、初月小学校の100周年記念誌に寺子屋(私塾)、久万小学校へ、3つ(久万小と円行寺小と万々小)が合併して初月尋常小学校へと、名前が載っている。
村岡塾の写真がこの記念誌に載っている。村岡楠鹿の父・祖父代々医者のかたわら、子弟を集めて、教えた。
明治時代の初めこれを積小学舎と改称。これを明治10年ごろ1畝5歩の土地に久万小学校を建てる。
初月小学校(写真は昔の)