甲斐駒ヶ岳<南アルプス>登山2966m

昭和53年10月11〜12日の記録
友人2名と甲斐駒ヶ岳へ登山。東京から山梨県北巨摩郡へ。
駒ヶ岳神社から尾白川渓谷に沿って黒戸尾根を登山開始。
暗くなってからは右手下の渓谷のせせらぎを頼りに、登山地図と常に照合しながら進む。

トリスのウイスキーを2人で少しずつ飲みながら登山。

当時デジカメも無い頃、愛用のペンタックスSP?
を道路脇の平たい岩に置いて、セルフタイマーで撮影した(と思う)
写真はロールフィルムを自分でパトローネに入れ、現像も自分でした。

ウイスキーは汗となって次々と吹っ飛びましたが、本格的な山と初めて気付いた。
無事中腹の山小屋で1泊したが、山小屋到着前に日没になり、懐中電灯が3名の誰も持って無くて、真っ暗の中手探りで渓谷の音を登山道のヒントにして、暗闇を恐る恐る登山。
地図から思った通りの山小屋に行き当たる。ここは番人(経営者)がいた。これは多分五合目小屋だと思う?当時番人がいたが、今は無人らしい。
助かったあと胸をなで下ろす。
これほど本格的な山とは。
上りはまるで石の階段をつぎつぎといつまでも登る急傾斜だった。
眼下に中央線や、はるかに八ヶ岳とか富士山とかすごくきれいな景色を見られます。2日目やっと登頂成功

登山コース脇の岩で。中央本線がはるか下に見えるし、景色は抜群。 確か摩利支天と呼ばれる場所?

山頂の直ぐ下のコース脇の岩で記念写真
この岩の下は目も眩むばかりの垂直の絶壁です。
東に富士山の見える位置にこの岩壁があった。

つまり
南アルプスの一番北寄りの山。富士山からは鳳凰山があり、この甲斐駒があります。

雲海の下は中央線が走っている。
眼下に鉄道(中央線)が模型のようにはっきり見える。
小海線や高原野菜の野辺山原なども見えているのでは。
雲海の向こうは八ヶ岳ということになる。
中央線からは、見上げるような天空に突き出た山容で、石灰岩か山頂が白い。ずっとあこがれ、関東を去る前に一度は登っておきたかったのだ。

1泊した山小屋を出発したが、いきなり階段のような厳しい登りが連続していた記憶がある。
確かこの時、ペンタックスの上部のフイルム巻き取りネジが、岩角に当たり、破損。
帰宅後に代用品をあてがいプライヤーで押しつけて、何年も使用した。
雲海と遠方に富士山が
ネガの順番から
1泊した後の早朝の景色かも

東方面に鳳凰山を手前に富士山が見える
登山コースの背景に
下界が見える。八ヶ岳方面を見る。確か鉄道・中央本線も雲間に見えた記憶が。
甲斐駒山頂が最奥にかい間見える。
ネガの順番から見て
午前登りの途中で目的の山頂を見たらしい。山頂部が陽に照らされている。
バックは甲斐駒山頂

昔の修験道がやったのだろうと思われる巨大な石の碑があった。
こんな高い山の上にこれ程巨大な碑を良く作ったと感心しつつ登山する。古事記神話に出てくる「天のヌボコ」のような剣があちこちの岩にに見られる。
登山道脇には遭難者の碑があった。まったく不気味な山でした。
新田次郎の山岳小説に駒ヶ岳の遭難を題材にした聖職の碑があったが、これは中央アルプスの駒ヶ岳でした。
映画にもなったような記憶が。

この甲斐駒は小学生が遠足で行けるような山ではない気がする。

八ヶ岳方向 不明?誰か教えて下さい、山好きな方 修験道(江戸時代?)の作ったと思われ碑が
あちこちにあった
甲斐駒山頂間近 甲斐駒山頂にて
これが筆者です。
甲斐駒山頂

甲斐駒山頂の紀元2600年の記念祠
下山口の看板がわずかに見えるが、不明。

平成11年当時の古い白黒のネガがやっと多数見つかった。
右)眼下に甲斐駒ガ岳頂上上空をフライト。
以前登って、小生の別のホームページがある。
必死で窓にデジカメを押し当てて撮影。感激。
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